宝珠院についてAbout
お寺の概要
宝珠院は1685(貞亨2)年、増上寺30世霊玄上人により蓮池の弁天堂の建立と同時に開創されました。徳川家康公所蔵の開運出世大辨財天と高さ2mもある木彫りの閻魔大王の像(港区指定文化財)が祀られており、毎年正月には港七福神の弁財天をお参りする人で賑わっています。
宝珠院横の弁天池はかつては「蓮池」「ゆりが渕」などと呼ばれ、文豪や画家にも愛され多くの作品のモチーフとなってきました。都心にいることを忘れさせてくれる木々と弁天池が、日々の疲れを癒してくれます。
住職紹介
住職 第23世
森 俊人(もり しゅんにん)
2008年2月浄土宗に得度。
京都知恩院、鎌倉光明寺、芝増上寺の行を経て、2011年に宝珠院第23世住職に就任。
精神的、社会的、文化的に様々な人が集い、出会い交流することのできるお寺をめざし、
その役割に積極的に取り組んでおります。
年間行事のご案内
- 1月
- 港七福神めぐり 港七福神めぐりサイト
- 3月
- 春彼岸会(はるひがんえ)
- 5月
- 施餓鬼会(せがきえ)
- 7月
- 盂蘭盆会(うらぼんえ)
- 9月
- 秋彼岸会(あきひがんえ)
- 〈閻魔大王祭礼日〉
- 1月15日・16日、7月15日・16日
- 〈弁財天祭礼日〉
- 毎月1日、3日、15日、28日、巳の日
- 〈秘仏弁財天 御開帳〉
- 4月15日・16日・17日
諸堂と境内
本尊 阿弥陀如来
本堂の阿弥陀如来坐像は寄木造、金箔押、漆箔で阿弥陀定印を結んでいます。江戸初期の作とされ戦火を逃れ今日に至る阿弥陀様です。
薬師如来
かつて組内寺一経院の本尊であった薬師如来像。文化の大火の際に宝珠院へ遷座(せんざ)されました。芝三縁山志の記述では運慶作とあります。
開運出世大辨才天
858年・智証大師作
厨子の中に安置されている秘仏弁財天尊像は三井寺の開山、智証大師(円珍)が帰朝後の858年竹生島にて彫刻し「除波尊天」と名付けられました。
貞純親王から源家、北条家に伝えられ、数人の上人の手を経たのち、西誉(せいよ)上人に授けら、西誉上人は増上寺を建立し以後代々尊像を守り、増上寺と縁を結んだ徳川家康公も尊像を篤く信仰し念持仏とされ江戸幕府を開府でき開運したという事で、『開運出世大弁財天』と徳川家康公自ら名づけられました。
当時、徳川将軍家の菩提寺としてある増上寺内に安置されていた為、一般人は直接参詣できなかったため「霊験あらたかな弁財天様を皆様が参詣できる様に」との思いで、貞亨2年(1685)、増上寺境内に弁天堂を建立、同時に宝珠院が開創されました。今日においては港七福神のひとつに数えられ、毎年4月17日の家康公の御命日にあわせ御開帳を行なっております。
閻魔大王 司録・司命
1685年作・寄木作り・港区指定有形文化財
宝珠院の閻魔様は、古来より多くの方の信仰を集めてきました。この世での生き方をいつも見守り続ける閻魔大王は、地蔵菩薩の化身とも言われます。お詣りすることで、自身の生き方を、混じりけのない曇らぬ眼で、見つめ直すことができるとも言われます。
1月と7月の御縁日には閻魔堂に「地獄絵図」「極楽絵図」が御開帳されます。
妙見菩薩
秘仏妙見菩薩は大変古く堂奥にて保存しております。この度の本堂の改修にあわせて新しく奉納された妙見菩薩像をお祀りしております。
子の権現
子の権現(ねのごんげん)、又は子聖大権現と言われ、元は凊林院御本尊。誓願された際、我を念ずるものは諸願を満しめ火難を除き、腰より下の病あるもや足腰の病は必ず治すると誓われた権現様。古来よりお参りの人が絶えない。
- 子育て水子地蔵
- 三竦み(蛙、蛇、蛞蝓)
- 閻魔耳
- 客殿
- 芝庭苑
- 弁天池
わたしたちの宗旨
名称
浄土宗
宗祖
法然上人(源空)
1133~1212
開宗
承安 5年(1175)
本尊
阿 弥 陀 仏 ・阿 弥 陀 如 来
教え
阿弥陀仏の平等のお慈悲を信じ、
「南
無
阿
弥
陀
仏
」
とみ名を称となえて、人格を高め、
社会のためにつくし、明るい安らかな毎日を送り、
お浄土に生まれることを願う信仰です。
お経
お
釈迦
さまがお説きになった
『無
量
寿
経
』
『観
無
量
寿
経
』
『阿
弥
陀
経
』
の三部経をよりどころとします。
アクセス
電車でお越しの場合
- 都営大江戸線「赤羽橋駅(赤羽橋口)」徒歩約5分
- 都営三田線「芝公園駅(A4出口)」徒歩約7分
バスでお越しの場合
- 東急バス[東98]系統 「東京タワー(都道沿い)」バス停下車 徒歩約2分
- 都営バス[浜95]系統 「東京タワー(都道沿い)」バス停下車 徒歩約2分
- 都営バス[橋86]系統 「赤羽橋交差点」バス停下車 徒歩約4分